キナシベツワークキャンプの始まり

ワークキャンプとなるまでの道のり   
F.A.Nでキナシベツワークキャンプが始まったのは1994年の夏。その一年前、ワークキャンプが始まるきっかけとなった出来事がありました。1993年、釧路で行われた、
ラムサール条約締約国会議の時のことです。

その会場に、たった1人で、自宅近くの湿原や、海岸、森といった豊かな自然を開発から守るために、エクスカーション(視察旅行)を企画し、ビラを配る人がいました。その人が、その地を写した
パネルを展示しようと展示室に来たとき、そこにいたのはボランティアをしていたF.A.Nの学生でした。
学生はその人の熱意から「この人はこのまま帰す人じゃない!」と感じ、(財)日本ナショナルトラスト協会の方に取り次ぎをしたのです。実はこの人が現在、キナシベツワークキャンプの受け入れをしてくださっている、
榊原源士さんです。

このラムサール条約締約国会議のあと、もともと本場イギリスに見習ってボランティアワークキャンプを日本国内にも根付かせようと考えていた(財)日本ナショナルトラスト協会と、保全活動をしてきた榊原さんとで始めたのが、キナシベツワークキャンプで、そこにF.A.Nが参加できることになったのです。

いざ!第1回目のワークキャンプは・・・ 

    インタビュー:瀬古 智貫さん(OB)


お酒を交えて語る瀬古さん

現在の宿泊施設であるトラストの家



1994年、第1回目のワークキャンプ

今、みんなが宿泊している“トラストの家”は、立派な宿泊施設になっていると思うけど、当時はまだ屋根と外壁が付いているだけの家具もない状態でワークキャンプが始まったんだ。

ガスコンロを置く台を作ったり、ユニットバスの排水管をつけたり、ビールケースをテーブルや階段代わりに使ったりと、自分たちの生活環境を作るのも作業の一貫だった。メインの作業は湿原への人の侵入を防ぐためのバラセン張り。

実は、私は憧れの北海道に
3万円で行けるということに魅力を感じてこのキナシベツワークキャンプに初めて参加したんだ(笑)。でも、ワークキャンプが終わって帰る日に、榊原氏に連れられて完成したバラセンの柵を見に行ったときのことがとても衝撃だった!

作ったバラセンの柵を壊し、海岸に輪立ちを残す車を見た。怒りの感情が湧き起こって、榊原さんも当然怒るだろうなと思っていた。けど怒らなかった。


「ここで怒っても結局、真意は伝わらず、問題解決にはならないですよ。何度でも作り直す姿勢を見せて、その人の価値観を変えてもらうことが大事なんです
という榊原さんのこの言葉に感動したね〜。

こういう人のために何かできたら、と思ってF.A.Nの活動、自然保護活動にのめり込んでいったんだ



ちょこっと裏話

インタビューに答えていただいた瀬古さんは、実はキナシベツでおなじみの“トラストカー”(移動時に乗る特大ワゴン車)を運転しているときにぶつけ傷つけた最初の人なんです。榊原さんはもちろん、当時参加していた先輩もしっかり覚えていらっしゃいましたよ。この事件と、近頃榊原さんが学生にトラストカーを運転させないのと関係あるのかも!?
                




魚を釣り上げる榊原さん



野外セミナー:キナシベツの原生林にて
キナシベツのオーナー・榊原さんより

キナシベツワークキャンプが学生にとってどんなものであってもらいたいと思いますか?

まず、参加した人にキナシベツの自然を楽しんでほしい、そして新たな何かをつかんでもらいたいです。

今、10日間もずっと一緒に共同生活を送れるチャンスはなかなかないんですよね。
チーフコーディネーターがそのときのキャンプをまとめ上げていく中で、のびのびと個性を出して自主的に何かを起こせるようになることは、学校で学ぶことよりはるかに大きいと思います。
そういった経験も大切にしていってほしいですね。

取材協力:榊原 源士、佐藤 方博、江藤 公俊、瀬古 智貫(敬称略)

<土屋 史>

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