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☆    初期のF.A.N.        ☆
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 できたばかりのFAネットワークは学生対抗バードソンでつながった学生たちが主なメンバーだった。しかしこれ以後F.A.N.のネットワークは急速な広がりを見せる。その理由は何か。
               
 長岡さん「ネットワークの拡大に関してはいろいろなことをやっていましたが、初期の段階でここまで広がっていったのは、ひとつは、現場主義で、形になる成果が得られる活動をしていたことでしょうか。サンクチュアリでのWCのように、その場所にほんとに必要なものは何かを考え、それをストレートにやる。その場所の自然保護を学生の力で後押ししていこうっていうのがF.A.N.の方針でした。
 二つめは、広く門を開いていたことだと思いますね。バリバリ自然に詳しい農・林・生物学系の学生だけが集まったんじゃなくって、ファッション感覚で「自然が好き」っていう学生も受け入れていた。それはやはり、『若者らしさを失わずにやろう』ってみんなが思っていたから。その結果、幅広い学生たちが集まった。農学や林学、生物系の学生以外の、いろいろな学部の人でも自然保護の力になれるっていうのを、最初に打ち出したのがF.A.N.なんじゃないでしょうか。」             ☆  
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 実際、この当時農学系では地味な学生が多かったのにもかかわらず、F.A.N.には女子学生が多かった。その比は、初めの2年くらいは女子学生:男子学生=6:4位だったという。数だけでなく、発言力も圧倒的に女の人が強かったらしい。F.A.N.立ち上げにも、FANギャル実行委員のみなさんのがんばりが大きかった。                 ☆
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ところで、これほどさまざまな学部の学生たちが集まっていて、F.A.N.内で、メンバー同士の考えの衝突はなかったのだろうか。
長岡さん「それはいっぱいあったでしょうね。(長岡さんはこのとき北海道にお住まいだった。)でも、いっぱいディスカッションして合意形成を十分に行っていたようです。『F.A.N.には議論好きが集まってる』とか、『F.A.N.のメンバーの誰に訊いてもみんなおんなじことを言う。洗脳されてるんじゃないの?』って言われていたこともありましたよ。誰に聞いても同じことを言うのは、合意形成がきちんとなされていたからですよね。(そのためのディスカッションも活発で)部室に行ったらいつもみんなミーティングしてて、入ってきた人にちっともかまってくれないから、「FAってかんじわるいよね。」とうわさがたったり、FA内でできた2組のカップルがWデートしていて、マックに入って話していたら、いつの間にかミーティングになっていたなんていうこともあったそうです。」
 現在のF.A.N.でもそれは変わらない。「俺がF.A.N.の説明をしても、本川(現事務局長)がしても、おんなじ説明するでしょ?」と長岡さん。

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