さて、F.A.N.発足の直前の時期、昭和50年代の後半(1980年頃)の社会はどうだ
ったのか。
青木さん「バブルと同時に環境ブームも盛り上がってくるのですが、F.A.N.が動き
出したのは、そのちょっと前。開発計画もたくさん持ち上がっていました。農学部の
学生たちには、みんな危機感があったと思います。」
長岡さん「このころは高度経済成長のしわ寄せが始まった時期だったんじゃない
しょうか。将来に不安や危機感を抱く人増え始めていた。『今のままいくとある程度
のところまで暮らしはよくなるだろう。でも、そこから先はどうなるんだろう。』って。
ですが、私の通っていた高校では自然が失われることに関心を持つ生徒はほとん
どおらず、自然が好きだという人も少なかったですね。自分が生まれたときにはもう
町があって、開発というとその町だんだん大きくなっていく感じ。今あるものが失わ
れていっているという感覚は感じにくかったと思います。」
サンクチュアリではボランティアの受け入れが始まり、極一部の学生たちが参加
していた。北海道のウトナイ湖サンクチュアリでは、ビジターセンターの建設作業に
協力してくれるボランティアを募り、サマーキャンプ(ボランティア・ワークキャンプ)や
スプリングキャンプを行った。これには全国からボランティアが集まり、東海大の自然
保護研究会のメンバーや自然保護に関心のある大学生、高校生も参加していた。
しかし、こういう場を別として、学生が自然保護に直接関われる機会はほとんどな
かった。昭和40年代には学生が最前線に立っていた保護運動の主役は、自然保護
団体のプロの職員に代わっていた。自然保護をしたいと思い、自然保護サークルに
入会しても自然保護に関われず、自然保護を実感することもできない学生もたくさん
いた。「私も自然保護のために何かしたくて自保研に入りましたが、サークルの内で
も外でも活動できる場がないといった状況でした。」と青木さんは話す。