F.A.N.の前身
野鳥保護チーム・FAチームが動き出す!!
        
         
学生ボランティアが活発に
                      

    昭和60年代(1985年)に入り、日大自保研の中で新しい動きがはじまる。
     サンクチュアリでボランティアをしていた学生たちが中心になり、その活動を広 
   げ始めたのだ。

                                                                              
      サンクチュアリでボランティアをすることは、直接的ではないにしろボランティ
     アという形でレンジャーの仕事に協力することで、間接的かつ効果的に自分達
     の力を自然保護に役立たせることができる。お金はないが、時間とパワーのあ      
   る学生と、人手が足りない自然保護団体との需要と供給が連動したのだ。

       このような方向を持った学生たちが集まり、1985年、日大自然保護研究会
     野鳥保護チームがスタートした。当時、日大自保研は対象とする野生生物ごと
     で、“鹿班”“両生類班”といった班に分かれており、総会で承認されなければ、
     班として認められなかった。
       当初、野鳥と言えば、観察会と調査しかなく、そこに野鳥保護のためのボラン
     ティアを導入したことへ、「なぜ、調査をしない! なぜバードウオッチングをしな
     い!」と批判もあった。
                                   

     高橋さんが自保研に入部したのは86年の12月、日大一年の終わりごろだ。
    翌年の2月には、先輩に誘われウトナイ湖へ行った。もちろんボランティアを体
     験するためだ。         

     「先輩にはただ、北海道を見てみたいだろうと言われただけでした。フェリー
     代が2万だから、3万あれば大丈夫だって。格安で北海道を観光できると思っ      
     て、何にも知らずに付いていったら、ウトナイのビジターセンターに連れて行か  
     れて、いきなりぞうきんを持たされて『じゃあ床拭いて』って言われました。その
     あとようやく、ボランティアで作業するために来たんだって知ったんですよ。(笑)」

     ちなみに、先輩がその日何をやるかを教えずに後輩を連れてきて、いきなり
     活動現場に放り込むのは、F.A.N.に伝わる初参加の後輩への伝統になってい
     る。(笑)

     滞在していたのは2週間ほどだったが、高橋さんにはたくさんの発見があった。
     「日本にもセンターを中心とした環境管理作業、調査、来訪者の案内などを
      やっている施設があるんだってはじめて知りました。こういう体験ができるとこ
      ろがあるんだったら、俺だけではもったいないと思い、先輩と話し合って、それ
      からは長期休暇には学生たちを連れていくことにしたんです。」

     ウトナイから帰って、すぐ連れて行かれたのが横浜自然観察の森だった。ま
    だオープン前だった。ここはアーバンサンクチュアリと呼ばれ、その土地に残る
     自然を保全することを目的とした北海道のサンクチュアリとは別に、一般の人へ  
     の普及活動や観察会をメインにした施設だった。当時、自然とのふれあいを目      
     的とした公園はあったが、自然観察の森のように、レンジャーが案内人として常
     駐している施設は画期的だった。

     春休み、夏休みはウトナイ、普段は自然観察の森や野鳥公園で活動していた。  

 「自分たちで自分たちを高めよう」
TCもこのころはじまった

     こうしたサンクチュアリでの活動の他に、トレーニングキャンプが始まったのも 
     この年だ。「自分達で自分達を高めていこう」という考え方のもとに、一泊か二
   泊の合宿の間に実習やセミナーを行い、ボランティアに携わる学生たちのトレ 
     ーニングをするものだ。

     トレーニングキャンプ(以下TC)のヒントとなったのは、清里のキープ協会が
     実施し始めた宿泊型の環境教育プログラムだ。指導者養成を目的とした「レン     
     ジャートレーニングキャンプ」(現在は「インタープリターズキャンプ」)と、いわゆ
     る入門編として自然に興味のある一般の人を対象にした「エコロジーキャンプ」
   がそれである。これに野鳥保護チームの学生が参加した。受けてみて、とても
     おもしろいと感じたし、ぜひ他の学生にも参加してほしいと思ったが、参加費が    
     高かった。また、学生の一体感を出したいこと、様々な学生に参加してもらうた  
     め、敷居を低くすることなどを考え、自分たちなりにアレンジを加えて85年の11
     月に第一回を実施した。ちなみに、Fierd Assistantという言葉を考えたのもこの
     ときである。 →F.A.N.の名前の由来
 

      翌年1986年12月に野鳥保護チームは野鳥班となり、同時に野鳥保護チー     
     ムからF.A.チームが独立した。先にも述べたが、自保研のなかで、チームという
     のは任意団体のようなものであった。日大自保研内だけでなく、しっぽの会や
     他の大学の学生にも声をかけ、一緒に活動していた。1987年にはFATW(フィ 
     ールドアシスタントトレーニングワークス)も始まった。
     FATCの日帰り版で、参加する学生も気軽に参加できる。横浜自然観察の
    森などで週末に行われた。
                                 

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