ネイチャーハント
  NATURE HUNT             
                                     

ネイチャーハントとは、トレジャーハント(宝さがし)をもじって、ネイチャーハント(自然の宝さがし)というように名前をつけたものだ。これを考え出したのは、F.A.N代表の高橋巧一らである。
 飲み会の席で、高橋や箱田が、バードソン・ネイチャービンゴ・ネイチャーゲームをもとに考え出し、それをFATC(Field Assistant Training Works)で試してみて、 実際に皆でやってみようというこ とになったのがきっかけ。当時事務局長だった高橋は、毎回同じイベントをやるのではつまらないと感じていた。バードソンは全国に散らばって行うものなので一同に人が集まることができないし、鳥が好きじゃない人もいるのが現状であった。そこで、「自然は色々とあり鳥だけでなく、動物、植物もあるから、全部含めちゃえ!」として、ネイチャーハントを考え出したのだった。このとき高橋は、 「ネイチャーハントというイベントをやることはものすごく楽しそうだ。物をつくるというよりも、ソフト面で人をつくる喜がある。 また、イベントが面白ければ、リピーターが来て、FAネットワークと しても自然保護の提案ができる!」という気持ちだったそうである。

ネイチャーハントをする上で当時目指していたことは、
@ 自然保護を学生だけでやっていることのPRをして、多くの人に知って参加し てもらいたい、新たなつながりを作りたい。
 A学生でもいろいろな関わり方ができるので、学生だけで具体的な活動をすること。ということであった。 
    
こうして、考え出されたネイチャーハント。そのゲーム内容は、ルートの中で指定された植物・鳥・動物などを探し、簡単なゲームでポイントが 追加されるというもの。自然を相手にゲーム感覚で競い、家族や若者を対象としている。最初にネイチャーハントを行ったのは、山梨県にある早川町。なぜ、この早川町で行ったかというと、光が丘の関係で知り合った小河原氏(/野鳥の会を辞めて会社を作っていた)が早川町で野鳥の会の委託調査をしていて、「早川町でやりなさい」という助言を下さり、下見を何度も行い始めたのが原形である。
 (**早川町(山梨県)について
   過疎化は全国で2番目に進んでいる。町長は、ゴルフ場反対派。
    自然の資源を生かした町づくりをしていく方針。)

そして、F.Aネットワークでは、ネイチャーハントで使用するために、早川町内のチェックリストをつくった(例:ツチノコ100点、スズメ10点とか)。さらに、チェックポイントも作り、間違えると罰ゲーム (例:腕立て10回)もあった。

実際のゲームをしたときは、参加費を集めて、WWFと早川町の水を守る会に寄付したそうだ。

★はみだし★
"ネイチャーハント"という言葉で【商標登録】をとろうとしたが、ダメだったそうだ。なぜならお金がかかりすぎるので。。。

■おまけ  
  〜広報の仕方について〜
このときFAとしては始めて企業からスポンサーをつけたのだ。バードソンで野鳥の会が企業スポンサーを得ているのを見て、「あれなら俺たちにも出来るかも」と始まった。広報のノウハウは野鳥の会の人たちに、実際に教えてもらったのである。様々の企業の広報、宣伝部に宣伝用紙を送ったり、スーツをびしっと着て、企業を尋ねお金を集めたりしたが、企業のほうも学生がこういう風に依頼してきたのには驚いたそうだ。当時は、「思ったより簡単に集められたな」と思ったが、今振り返ってみるとやはりそれだけの交渉は踏んだ上で、であった。
 
   ★おまけのはみだし★
    ビシッとスーツできめて企業に行ったのに、足元は革靴を忘れてスニーカーの人もいたそうな。

ネイチャーハント90。70名くらいが参加。 左から、東京農大の辻井さん(現静岡県職員),
松井淳子さん(今はなき東京女子大学生物同好会),高橋巧一さん。



ネイチャー・ハント(第一回)

1990年6月3日、山梨県早川町にて。
学生チームを募集して行った。

以下は、当時の雑誌に載った記事からの抜粋―――――――――
『山梨県早川町で日本初の競技が行われて、大学生たち120人27チームが楽しんだ。
チームは、4人1組で一定の競技時間内に、決められたコースの中で、指定された宝物を見つけていく。宝物は、F.Aネットワークの下見調査の結果をもとにして決めた、希少性や発見の難易度を表したポイント数が定められている。
チームは、宝物を探し、全員で確認(見る、聞く、さわるなど)をし、チェックシートに記入した。本邦初お目見えとあって、主催者(F.Aネットワークのこと)さえ、「ゲームとして成立するかどうか予測がつかない」ゲームは、こうして始まった。
川原の一角に設けられた第1司令部の課題は丸太切り。5分以内に、のこぎりで、直径10cmほどの丸太を切らなければ減点となる。上流の滝のそばの第2司令部では、いじわるクイズが待っていた。「赤い実のなる植物を5つ」「トンボの名前を5つ。」答えられないと、腕立て伏せ10回の罰だ。第3司令部で、セットされた区域内での人工物探しだ。それを終えると、あとはいよいよ、ゴール目指して山登り。
 こうして、全長5.5km、標高差540m、内河内川(うちごうちがわ)の流域で行われたネイチャー・ハントは無事終わった。朝から6時間歩き通した参加者は、空腹でノドはカラカラだったはずなのに、にこにこと日焼けした笑顔をみせていた。
 優勝は、日大の「ニョロニョロ」チーム。総得点354点だった。
また、WWFJへの寄付金は、参加費の一部に、大塚製薬、安田火災海上保険からの協賛金を加えて約10万円が集まったとのこと。  (雑誌の抜粋より)

また、この開会式で早川町長は、「リゾートなどの開発はしません。この豊かな自然を大切に残していきたいのです。」と語ったそうだ。このようにして、ネイチャー・ハントは、始まったのである。


ネイチャー・ハント(第2回)

1991年 5月25(土)、26日(日)山梨県早川町にて
 
第2回のネイチャー・ハントは、第1回の成功を受けて、山梨県早川町の地球げんき村のイベントの1コーナーとして行うことになった。地球元気村のイベントは、俳優や登山家、冒険家、音楽家などさまざまな職業の方がそれぞれの個性を生かしたイベントになっている。早川町が、多くの人でにぎわったことは、間違えなさそうである。


ネイチャー・ハント(第3回)

1992年 6月6日(土)〜7日(日) 山梨県早川町にて
協賛:ヤンセン協和株式会社

第3回では、ネイチャー・ハントのTシャツ、マグカップ、ボールペンなどのノベルティグッズを作った。
F.A.Nでは、「自然は地域社会とは切っても切れない関係にある」との考えから、前夜祭では地元の人に伝統や昔話を聞いたり、地元の郷土料理(朴葉めし、二セアカシアの花芽のサラダ、すいとんなど)を出したりした。星空の下、天然のエコーでサックス演奏を聴いたりもした。
また、ヤンセン協和が300万円もの寄附をしてくれたそうである。
のころ、BSにこだわっていると「鳥」しか扱わないのかと思われて活動とし
て広がっていかないかもしれない。もっと広げたいのだ! という思いも出始め、更
に、バードソンでは参加者が一堂に集まるチャンスがないので、みんなで集まって盛
り上げられるようなイヴェントを、という要望もあった。そこで90年、『ネイチャーハント』を始めたのである。



ネイチャーハント(第4回)

1994年 伊豆にて開催。